こんにちは!

福岡マンション売却ドットコムの 浜野 です。

先日、よく行く「フタバ図書」で購入した本に興味深い話がありましたので、ご紹介したいと思います。

話の内容が多いため、何回かに分けてご紹介します。

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※ちなみに、写真画像は本文とは関係ありません。

さて、本題ですが、

【150年の歩みにみる福岡における成長の軌跡】

というお題で、人口150万人を突破してもなお伸び続ける福岡は、国家戦略特区の認定でさらなる飛躍が期待されており、

成長を続ける福岡における《活力の源》はどこにあるのか?ということを、明治維新前後から150年の歩みを振り返りながら迫っていくというものです。

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激動の幕末期において、明治維新に乗り遅れた福岡。

筑前勤皇党を弾圧したものの、戊辰戦争が始まると一転して佐幕派を粛清した結果、人材不足により、明治維新に乗り遅れてしまった。

その後、明治時代となり、明治中期の1889年、九州の主要都市で市制が施行された。

福岡市、鹿児島市、長崎市、熊本市の人口は5万人台で、ほぼ横一線。

城下町【福岡】と商人の町【博多】という双子都市だった福岡市は、誕生翌年の福岡市会で市名を【博多市】に変更する建議が出された。

結果は、、、、、1票差で否決された。

福岡を代表するターミナル駅が[福岡駅]ではなく、[博多駅]であることは、この建議に関係しているかもしれません。

一方、熊本市では、九州初の電灯会社が設立するなど、九州の中枢都市としての様相を呈していった。

 

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当初、熊本、長崎に次いで、九州三番手だった福岡市が九州中枢機能都市としての地位を築く上で、九州大学の誘致が大きかった。

 

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熊本、長崎も九大誘致に名乗りを挙げ、激しい争奪戦を繰り広げたが、「最後の博多商人」といわれた福博財界の重鎮・渡辺与八郎氏らのなみなみならぬ努力のおかげで、九州帝国大学が発足。これを契機に、福岡市は九州の産業や文化、学術における中枢的な地位を築くこととなる。

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大学誘致に功績ある渡辺与八郎氏は当時、九州有数の呉服商だった一方で、都市開発にも積極的に取り組み、その偉業は【渡辺通】にその名を残す。

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